仙台地方裁判所 昭和45年(行ク)1号 決定 1970年7月10日
申立人 仙台市左官厚生組合 外五名
被申立人 宮城県知事
訴訟代理人 小木曾茂 外一〇名
主文
本件各申立を却下する。
申立費用は申立人らの負担とする。
理由
一、申立人らの申立の趣旨および理由は、別紙申立書、申立人意見書および意見補充書のとおりであり、これに対する被申立人の答弁は別紙被申立人意見書および意見理由補充書のとおりである。
二、当裁判所の判断
(一) 本案訴訟における原告らの当事者適格について
被申立人は、申立人らすなわち本案における原告らは、いわば、その構成員である大工、左官等の技能労働者に対し日雇健康保険法(以下、日雇健保法という)を擬制適用するため行政当局が暫定的な事実上の措置として組織させた任意組合であつて、これを同法第六条の事業所に、またその構成員をもつて右事業所にあたかも雇用される者にそれぞれ擬えたに過ぎず、したがつて、原告ら(本件申立人ら)は法律上、保険適用事業所となることはありえないから、本件擬制適用のとりやめによつて害さるべき権利又は法律上の利益がないので、本件訴ならびに本件申立は当事者適格を欠き、不適法であると主張する。
なるほど、<証拠省略>によれば、一応右主張にそう事実が疎明されるが、他方、<証拠省略>および本件審尋の結果を総合すれば、右のような擬制適用の開始に関する昭和二八年一二月一八日付健康保険課長からの通達の趣旨にそつて、申立人らと被申立人との間においてこの具体的な適用措置に関し、毎年覚書と称する文書がとりかわされ、これにもとづいて申立人ら各組合が日雇健保法第三一条所定の手続にしたがつて組合員より保険料を徴収する等の事務を行なつてきたこと、そして右の措置は開始後現在まで約一六年間も公然と行われ、組合員らは円滑に日雇健保法にもとづく医療給付を受けてきたこと、今回の右の措置の廃止については、被申立人から申立人らに対し、文書をもつてその旨の通告が行われたことなどの事実が疎明されるのであり、これらによれば、申立人らは、一応行政事件訴訟法第三六条の原告適格を有するものと解する余地は存するのである。よつて本案訴訟において当事者適格を欠くものといちがいに即断することはできない。
(二) 擬制適用の廃止の行政処分性について
被申立人は、本件擬制適用は、いわば法律上の根拠がなく事実上恩恵的措置として行なわれてきた措置であるから、この措置を廃止することは行政処分ではないと主張する。
しかしながら前記事実なかんづく申立人らと被申立人との間でとりかわされてきた覚書の趣旨を検討すれば、少くとも右覚書に定められた期限(すなわち昭和四五年一〇月三一日)までは、申立人らの組合員は、一応、本件擬制適用を受ける法律上の利益ないし資格を有していたものであるから、本件廃止通告は、右の利益ないし資格を昭和四五年五月三一日かぎり喪失せしめるものであり、したがつてこれを行政処分と解する余地は存するものといわなければならない。
(三) 回復しがたい損害を避けるための緊急の必要性について
申立人らは、本件廃止処分の効力を停止しなければ、申立人らの組合員は保険による医療給付を受ける途をとざされるから、回復しがたい損害があり、これを避けるための緊急の必要性があると主張する。
しかし、申立人ら自身において右の回復困難な損害および緊急の必要性が存するとの疎明はない。また、申立人らの構成員である各組合員らの損害および必要性を判断の対象に含めるべきか否かはともかくとして、<証拠省略>によれば本件擬制適用の廃止にあたつては、厚生事務次官及び社会保険庁長官から各都道府県知事に対する通達をもつて、擬制適用対象者に対し、事実上不利益にならぬよう経過措置を講ずるとともに、円滑にこれらの者が国民健康保険に移行し、一応支障なく医療給付を受けうるような配慮がなされていることが疎明されるのであり、したがつて、かりに組合員らにおいて本訴において勝訴するまでの間、従前の日雇健保法による場合に比して過分の出捐を余儀なくされ、その結果損害を蒙つたとしても、右の損害は勝訴した段階で金銭によりこれを填補されうるものであるから、結局、申立人らの構成員である各組合員にとつても、回復しがたい損害を避けるための緊急の必要性は存しないものと解するのが相当である。
よつて、その余の点について判断するまでもなく本件執行停止の申立は理由がないから、これを却下することとし、申立費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を各適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 三浦克己 佐藤貞二 奥山興悦)
申立書
申立の趣旨
被申立人が昭和四五年五月二五日付保険第三二一八号宮城県民生部保険課長名文書をもつて申立人に対して行つた日雇労働者健康保険擬制適用制度を昭和四五年五月三一日かぎり廃止するとの行政処分の効力は、右処分に対する本案判決が確定するまで、これを停止する。
との決定を求める。
申立の理由
一、申立人は被申立人宮城県知事との間に、昭和三〇年及びその前後の年以来土木建築の事業に従事する日雇労働者に対し月雇労働者健康保険法を適用するため覚書をとりかわし、申立組合の組合員及びその家族は十五年前後にわたつて、日雇労働者健康保険被保険者として医療保険の給付をうけて今日に至つた。
二、しかるに、突如、被申立人は申立人に対し、昭和四五年五月二五日付保険第三二一八号宮城県民生部保険課長名の文書をもつて、昭和四五年五月三一日かぎり日雇労働者健康保険の擬制適用制度を廃止する旨通告した。
右の行政処分により申立組合員約五、五〇〇人及びその家族約一一、五〇〇人計約一七、〇〇〇人は同年六月一日から右保険の被保険者資格を喪失することとなり、身体が唯一つの生活のもとでである申立組合員はゆゆしい重大難局に逢着するに至つた。
この事態による著しい損害をさけるため緊急の必要から昭和四五年六月三日仙台地方裁判所に右行政処分無効確認の訴を提出した。
三、しかしながら、申立組合員等一七、〇〇〇人は右の本案判決の確定をまつていたのでは、その間右処分の執行により、保険による医療給付をうける途をとざされ、回復することのできない損害をこうむることが明かである。
他方すでに右行政処分発効のときに入つており、右処分の効力を停止させる緊急の必要があるので、右処分の効力停止を求めるため行政事件訴訟法第三八条第三項第二五条第二項及び第二八条に拠りこの申立に及んだ次第である。
意見書
右当事者間の昭和四五年(行ク)第一号行政処分の効力の執行停止事件に関する被申立人の意見に対する申立人の見解は左のとおりである。
記
本件は行政事件訴訟法第三八条の準用する同法第二五条に拠る申立てであるから、同条の執行停止の要件、すなわち、<1>執行停止の対象となる行政処分の存在すること、<2>訴えの提起があること、<3>回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があること、<4>公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがないこと、<5>本案は理由があること、最後に<6>結論につき、項をわかち意見をのべる。
一、執行停止の対象となる行政処分の存在すること。
被申立人の意見書の理由(以下乙意見という)第二の二において、被申立人は本件擬制適用の措置のとりやめは行政処分ではないと主張するが、申立組合員に対し日雇労働者健康保険法の適用を廃止する右の行為はその被保険者資格を喪失せしめ、同法の保険給付をうける権利をはく奪する重要な法律効果を生ずる形成的行政行為であり明白な行政処分である。これを行政処分にあらざる恩恵的措置をとりやめるにすぎないというにいたつては、笑止千万の封建的議論といわなければならない。
二、訴えの提起があること。
御庁昭和四五年(行ウ)第三号原告申立人、被告被申立人間の行政処分無効確認の訴えの提起がある。
三、回復の困難な損害をさけるため緊急の必要があること。
(1) 乙意見第三の一において、被申立人は申立組合には何の損害もないと主張するが、申立人は本件申立書の申立の理由第二項及び第三項のとおり、申立組合の組合長はじめ組合員全員の代表として組合員の損害を主張しているのである。
(2) 乙意見第三の二において、被申立人は事実上不利益とならぬよう経過措置を構ずるとともに、円満にこれらの者が本来被保険者となるべき「国保」に移行しその利益を亨受し云云というが如きは、官庁の身勝手きわまる独断強圧であつて、従来お米のごはんを恵み与えていた乞児(ほいと)に対し、今後は麦めしをやるぞというたぐいである。
本件処分によつて、申立組合員は日雇労働者健康保険の途は閉ざされ、国保移行の手続を強いられ、保険料は増嵩し、三割の負担を課せられる。もし、本件行政処分が申立組合員に不利益にならないし損害を与えない(日雇健保会計の負担が減らない)ならば、本法の値上改正案や国保移行が何故に必要であるかを反問する。
(3) 乙意見第三の三において、被申立人は申立人が本訴で勝訴の場合、損害の回復はきわめて容易であると主張するが、金銭貯蓄に乏しい申立組合員にとつて、事後償還は意味が非常にうすいのである。しかし、問題の重要性は健康上の損害にある。日雇労働者健康保険の手続等は一切申立組合がこれを為すのに反し、個人がなさなければならない。国保手続の煩瑣、一部負担の苦痛又は負担金の欠乏等によつて、病気の治療を怠り或いはこれを遅延することによつて健康傷害を大ならしめる事態が発生し、回復の困難な健康上の損失を招来することを牢記しなければならない。
なお、本項の問題については旧法に「償うことのできない損害云々」とあつて厳格な条件を要求されたが、新法においては、著しく緩和せられ、学説でも著しい損害である必要もないとし、又金銭賠償可能及び原状回復可能の場合にも認められるべきであるとしている。
(4) さらに、日雇健保被保険者たる申立組合員中に、昭和四五年六月三〇日をもつて、保険給付期限が切れる者多数あつて、本件処分の停止は緊急を要する。
四、公共の福祉に重大な影響をおよぼすおそれがないこと。
本件執行の効力が停止されれば、全国各都道府県において、永年にわたり平穏に行われてきた現状が維持せられ、公共の福祉にいささかの影響もおよぼすことはあり得ない。ただ、国庫の財政負担は従来どおりというにすぎない。
これに反し、執行の効力を停止しないならば、長い間続いてきた平穏円滑なる現状を破壊し全国の二百五十万人の日雇健保被保険者に大なる動揺と混乱及び医療給付の欠陥を惹起し、公共の福祉に重大な悪影響をおよぼすこと明かである。
本件処分の効力を停止することこそ、却つて公共の福祉に適合する。
五、本案は理由があること。
本案に関してその理由があることは訴状の請求の原因において詳細主張したところであるが、乙意見第二に対し反論する。
(1) 申立組合に対し日雇労働者健康保険制度を適用するに至つた経緯については、本案訴状請求の原因第五項と第六項に述べたが乙意見第二の一は当初から擬制適用なる語を用いた旨主張する点は誤つている。本件申立書添附の覚書中昭和三〇年六月一日付(本案甲第一号証の一)及び昭和三六年一一月一日付(同甲第一号証の二)の覚書本文及び各様式が物語るように、適用事業承認申請書の提出その他所定の手続きを行い、右甲第一号証の一の宮城県民生部保険課長通知のとおりこれによつて適用承認をうけ、申立組合は日雇労働者健康保険法第六条第二号の事業所とみなされ、全面的に本法を適用され、すなわち実質上健康保険法第一四条第一項の規定による認可のあつた事業所となり、組合員は、被保険者資格を取得し保険給付をうけてきたのである。
従つて適用承認又は認可事業所として認めるということは、必ず法律の規定に根拠をもたなければならない公法関係の建前から、認可に外ならないのである。
国又は行政機関と私人との間において、公法関係につき自由契約を結ぶことは法律上許されない。
知事と申立人との間に毎年とりかわされてきた本件覚書の法律上の性格は、契約にあらずして、申立人の申請に対する事業所認可の指令と申立人及びその組合員が保険料納付その他の事務手続を誠実に実行することの誓約との混合文書とこれを解すべきである。しかるに、その後、適用承認なる語を擬制適用と変更したが(甲第一号証の二)実質的に何のちがいもないのである。
さらに右事業所の認可につき論ずる。乙意見第一の二の(1) に述べるように、要社会保障性が一般労働者よりも強い土建労働者につき「日雇健保の適用ある事業所(日雇健保法第六条)に使用されることのあることに着目し云々」(乙意見第一の二の(1) の中項)とあるように、時に雇主がかわり、又働く場所、事業所の変更あるこの種労働者につき、労働者健康保険制度適用の緊急不可欠の必要性から、右に類似する労働体様の労働者を含め、法規裁量の範囲内において、合法的に保険関係を成立せしめたのが、覚書に所謂適用承認又は擬制適用すなわち日雇健保法上の認可である。
よつて、適用承認又は擬制適用の語によつて表現する法適用は「秘扱い」とされるような私生児ではない。立派な嫡出子である。行政官庁は私生児を作つてはならないことはいうまでもない。
(2) 本件擬制適用の廃止は明かに行政処分であることは前記第一項及び前項のとおりである。
(3) 次に被申立人は乙意見第二の三において、擬制適用は慣習法ではないと主張する。
而して、被申立人は、申立人が本法適用につき多年何人からも反対も指弾もなく平穏且公然に実施されてきたというが、昭和四三年一一月二八日附財政制度審議会の「社会保障における費用負担についての報告」においても、日雇健保の財政は崩壊に頻しているとの指摘をあげ、或は参議院社会労働常任委員会及び同内閣常任委員会における厚生大臣及び政府委員は擬制適用は法律上の根拠なしと答弁した旨述べ、いつも物議をかもしてきたかの如き主張をする。しかし、右財政制度審議会は財政上の是正の必要を説いたにすぎない。各種の行政執行に対し、右審議会が為したこの種の指摘は枚挙に遑がない。
右報告は何等本法適用の当否に触れたものではない。政府答弁に至つては、政府自らが多年にわたつて法律違反を続けてきたと自分自身を指弾したものである。社会一般と申立組合員は政府のきわめて適切妥当な行政措置として、すこぶる歓迎してきたのである。
(4) 申立人は本件本法適用は慣習法に拠るものと主張するのではない。本案訴状請求の原因第七項及び本意見書第五項(1) のとおり、法律の規定に拠るものであると主張するのである。
(5) ただ、かりに一厚生大臣が多年行つてきた所管の行政行為を非違と断定したことが正しいとされた場合(違法)或は本法適用はいささか違法又は失当とされた場合(不当)にあつても、時勢と事態に適応する妥当適切な法解釈によつて運用の妙を発揮してきた行政行為は慣習法を形成していると、申立人は主張するのである。
慣習法が成立するためには、事実上一つの事柄が長い間、社会生活、裁判所又は行政の実際において繰返し行なわれていることが必要であることは異論のないところである。本件本法適用はこの条件に完全に適合する。
しかし、慣行が慣習になるためには、これに法的効力を認める根拠がなければならないとされている。これについては種々の見解がありうると思う、美濃部博士は「長い間の慣習はそれ自身の力に依りて当然国民の遵由意識を生じ、随つて法たる力を有するに至るなり」と説く。すなわち、裁判所又は行政官庁の継続的慣行と一般に抱かれた法的確信との有機的一体が慣習法の法源と見るべきである。
かくして成立した厳然たる慣習法はまた裁判所又は行政官庁の単なる見解の変遷によつて破毀されうるものではない。父は嫡出を承認した子の嫡出を否認し又は認知した子の認知を取消すことは許されないのと同じである。
よつていずれからしても、被申立人の行つた本件行政処分は無効である。本案の訴えは十二分の理由があるといわなければならない。
六、按ずるに、政府は日雇労働者健康保険の財政改善のため、より高い収入のある者に対し法律改正により、保険料値上げを実現し、本法適用は、これを当然のこととして継続する意図であつたことは、申立書添附の本法改正法案を見れば明瞭である。
しかるに、法案不成立のため企図した右財政措置が実行できなくなつたので、一挙に見解と態度を豹変し、本件擬制適用は、不法にも、自由裁量の範囲であるとし、或は違法であるとなし、廃止処分に出たことは、要社会保障性が一般労働者に比し、遙かに強い土建労働者に対し甚大な打撃を与えるとともに、政府並びに行政官庁の封建反動、切捨て御免の思想と独裁性を露呈した。民主主義の法治国家にあつてはならない行政機関の態度である。
法律と正義を護るため、裁判所の勇断を望む次第である。
以上のように、行政処分の執行の効力を停止すべき要件は、すべて充分にこれを具備している本申立てを許容せられたい。
意見補充書
右当事者間の御庁昭和四五年(行ク)第一号事件に関し意見書第五項及び本案訴状請求の原因第七項と第八項につき左のとおり意見を補充する。
一、被申立人の擬制適用廃止行為は日雇健保法第六条の事業所認可を取消し、申立組合員の同法の保険の被保険者資格をはくだつし、政府申立組合員間の保険の公法関係を消滅させようとする行為である。
二、しかしながら、右の形成又は確認行為は、法律に基き認可を取消し、又は法律に従つて保険適用除外「同法第七条第三条等」が行われなければならない。右擬制適用が慣習法によるものであつても同断である。
三、したがつて、被申立人が、申立人及びその組合員に対し、法律に拠らず恣に認可を取消し又は被保険者資格を喪失せしめようとする本件処分は、その効力を生じ得ない。
よつて本件処分は無効であることを確認されなければならない。
意見書
本件申立は却下されるべきものと思料する。
理由
第一いわゆる「擬制適用」廃止に至る経緯(以下「本件経緯」という。)
一 日雇労働者健康保険法(以下「日雇健保法」という。)の制定
(1) この法律は、そもそも昭和二六年一〇月、失業対策審議会の「日雇労働者健康保険制度の創設について」の建談に基づき立法の運びになつたもので、日雇労働者の業務外の事由による疾病、負傷、死亡、分娩及び被扶養者の疾病、負傷、死亡、分娩に関して保険給付を行なうことを目的とし(日雇健保法第一条)、健康保険法の適用ある事業所又は緊急失業対策法所定の失業対策事業等の事業所に日々雇用される者をその対象とする(日雇健保法第六条)。
(2) しかして、日雇労働者健康保険(以下「日雇健保」という。)の費用についてみるに、健康保険、各種共済組合等の被用者保険のばあいに、保険給付に要する費用の定率の国庫負担が行なわれていないのと異り、保険給付に要する費用の三割五分にも及ぶ部分が国庫の負担となつており(日雇健保法第二八条第二項)、しかも加入者の負担する保険料額は、賃金日額四八〇円以上のばあい一日二六円、四八〇円未満のばあい一日二〇円の著しい低額で、その上これを事業主と折半して負担することになつており、常用労働者を対象とする政府管掌健康保険の保険料の平均額の三分の一にも満たない額である。
(3) 右の各事実によれば、「日雇健保」は、元来失業対策事業就労者等を対象とするもので、これらの者が比較的低所得であることに鑑み、大巾な国庫補助の下に、特に低額の保険料で、他の医療保険に近い保険給付を行なうことをもつて制度の本旨とするものであることが明瞭である。
二 いわゆる「擬制適用」のはじまり
(1) 日雇健保法によれば、同法による保険給付を受けるためには、原則として、初めて給付を受けようとする月の、前二箇月間内に二八日以上、又は前六箇月間内に七八日以上、所定の保険料が納付されていることが要件とされている(同法第一〇条)。ところで、土木建築業に従事する大工、左官等の技能者は、当時まだ国民皆保険を保障する現行の国民健康保険(以下「国保」という。)の如き制度の創設の必要が叫ばれていたにかかわらず、未だその立法を見ていなかつたために、いずれの医療保険からも給付を受けられない実情にあつたため、制度の空白をうめるためのやむを得ない便宜の暫定措置として、これらの技能者が時に「日雇健保」の適用のある事業所(日雇健保法第六条)に使用されることのあることに着目し、異例の厚生省保険局健康保険課長通達(「秘扱い」の文書)という形式で、大工、左官等の技能者に任意組合的な団体を作らせ、これを日雇健保法第六条所定の、右保険の適用ある事業所に擬え(本件にいう擬制)、その構成員が同法の適用のある事業所以外の作業場で就業したときに於ても、右の適用事業所に使用されたと同様に取扱う(本件にいう擬制)ことによつて、同法の被保険者と同様の取扱い(但し、「保険者」名義で徴収した額は、当初一六円、昭和三六年以後は二六円、毎月二〇日以上)をすることとしたものである。
(2) 前記の、いわゆる「擬制適用」が前記の如く、一時の便宜に出た事実上の措置である以上、現行の国民健康保険法(以下「国保法」という。)が制定されて国民皆保険が制度上保障されるに至つた昭和三六年以降は、右の便宜措置を受けていた者は、当然「国保」に加入すべきものであることは、同法の趣旨から当然であるが、当初、市町村公営の「国保」による皆保険の達成が、昭和三六年四月一日を目標として行なわれたが、その実施状況がはかばかしくないところもあつて、政府としては、当時専ら右目的達成に全力を傾注し、この円滑な実施に多少とも影響を与えるようなことは一切さけようとしたため、当時「擬制適用」をとりやめる機を逸し今日に及んだものである。
(3) ところで、いわゆる「擬制適用」の状況をみるに、当初組合数四〇、適用人員一五、〇〇〇人であつたが、昭和四四年三月末、組合数一八二、適用人員四一〇、〇〇〇人に達し、他方「日雇健保」の本案の被保険者数は、滅少の一途をたどり、昭和四四年三月末においては、右保険による給付を受ける者の約四割が、いわゆる「擬制適用」措置対象者によつて占められるという異常な事態となつている。しかる、大工、左官等の技能者の賃金を屋外労働者職種別賃金調査結果から推計すると、昭和四五年度は目頭二、七三六円で、「日雇健保」の本来の被保険者の賃金推計日額約一、八〇〇円を遙かに超え、現に大工、左官等の技能者で組織する全国建設労働組合総連合は、地域によつては日額四、〇〇〇円にも及ぶ値上げをうたつており、これらの事実からしても、右の技能者が、低所得者のための医療保険を保障するという「日雇健保」制度の予定していない実質を次第に明らかにするに至つたということができる。
(4) ところで、「日雇健保」の財政は逐年悪化し、昭和四四年度末においては緊急赤字額が八九四憶円に達し、昭和四五年度の見込としては、保険料収入は保険給付に要する費用の僅か一割程度で、その余は、国庫負担と借入金によつて賄われるという、凡そ保険制度のあるべき姿とは程遠いものとなつている。
(5) 以上のような経過で、「日雇健保」制度は、財政的に崩壊の危機にさらされたため、政府は、応急措置として、第六一回国会に於て、保険料値上げを内容とする「日雇健保法」改正法案を提出したが、審議未了廃案となり、再度第六三回国会に於て同一内容の改正法案を提出し、衆議院に於ては、「擬制適用」の法律規定に根拠をおかないことによる難点を解消するため、議員立法により、これを法制化する等の修正を行なつた上可決されたが、参議院に於て審議未了、結局、成立するに至らなかつた。
(6) このため、政府は、政正法案の成立によつて実現される財政効果を全く見込むことのできなくなつた今日、荏苒前記「擬制適用」の事実上の措置を継続することによつて、医療機関に対する所定の医療費の支払遅延等により、累を、「日雇健保」の本来の被保険者である失業対策事業就労者等に及ぼさないためには、従来の「擬制適用」の便宜措置をとりやめる以外に残された方途はないものと判断し、昭和四五年五月二二日厚生事務次官及び社会保険庁長官の連名で、各都道府県知事に対し、同月三一日譲り、いわゆる「擬制適用」の取扱いをとりやめる旨を通達し、都道府県は、これに基づき、右通達の趣旨を、従来の「擬制適用」措置対象者及び任意組合等の団体に周知させるよう措置したものである。
本件申立にかかる昭和四五年五月二五日付保険第三、二一八号宮城県民生部保険課長名の文書も、右のような趣旨で発せられたものである。
(7) ところで、今次の「擬制適用」の措置をとりやめるについては、従来右の措置を受けていた者は、原則として「国保」を利用することになるため、経過措置として、先ず「擬制適用」措置対象者による国民健康保険組合(以下「国保組合」という。)(国保法第一三条)の設立を認めて、引き続き保険給付を受け得る途を開いて、「国保」への移行の円滑を図り(なお、「国保組合」のばあい、総医療費の二割五分が国庫補助であるのに対し、「日雇健保」のばあいは、患者負担の分を除く「保険給付費」の三割五分が国庫負担で、両者の国庫負担額は、ほぼ同じであるほか、「国保組合」の設立を容易にするため、特別の助成を配慮されている。)現に既に今次の「擬制適用」のとりやめに伴い、一部都道府県下では従来右の措置を受けていた技能者により、「国保組合」設立の認可申請がなされている実情である。また、右廃止に伴う経過措置として、これまでの右の「擬制適用」措置対象者に対し、本年六月一日以降直ちに、「日雇健保」の保険給付を打切ることをせず、五月までに納付された保険料によつて「日雇健保」の保険給付の受給要件(二箇月間内二八日、六箇月間内七八日以上の保険料が納付されていること)を充たしている者については六月一日以後も、右保険による保険給付を行なうこととされ、例えば医療給付のばあい、二月より五月まで納付された保険料によつて八月三一日まで受給要件を充たすことになり、同日までに初診を受ければ更にそのときから「日雇健保」の一般被保険者と同様二年間は「日雇健保」による給付が行なわれることになり、過渡期に於ける事実上の不利益を受けることを予じめ防遏するよう措置されている。のみならず、従来の「擬制適用」措置対象者の中には、常用労働者として就労している事業所が健康保険の強制適用事業所でないため、健康保険の適用を受けられず、便宜事業所ぐるみ「日雇健保」の「擬制適用」の措置を受けていたものにあつては、これらの事業所については、申請があれば、健康保険法第一四条第一項の規定に基づく健康保険の適用認可を与える方針がとられている。
以上の次第で、「擬制適用」のとりやめに伴う経過措置として、従来の「擬制適用」措置対象者の医療の方法、確保に万全の措置をとつている。
第二本件の無効確認訴訟は理由がない。
一 本件訴は不適法で却下さるべきである。
「本件経緯」二、(1) に述べた如く、土木建築業に従事する大工、左官等は、当時未だ国民皆保険を保障する現行「国保法」も制定されていなかつたため、いずれの医療保険からも保険給付を受けられない実情にあつたところ、これらの技能者が時に「日雇健保」の適用のある事業所(同法第六条)に使用されることもあることに着目し、便宜、「擬制適用」なる用語を用い、暫定的な事実上の措置として、これらの者に任意組合の如き団体を組織させ、これを、日雇健保法第六条の事業所に擬え、その構成員をもつて右事業所(実は「組合」)に恰かも雇用されるものに擬え、右組織の長に、同法第三一条所定の手続に倣い、「擬制適用」措置対象者の提出する被保険者手帳に健康保険印紙を貼用させた上、消印を施す方法により、組合員より保険料名下に一定額の金銭を徴収する事務を行なつていたにすぎない。したがつて、申立組合自体は勿論、被保険者として取扱われたわけではなく、また、そもそも一般の事業所の如く、労働者を雇つて独自に事業を経営していたわけではないから、法律上保険適用事業所となることはありえない。故に、本件「擬制適用」の措置のとりやめによつて害さるべき権利又は法律上の利益があろう筈がない。申立組合は、構成員の事実上の利益即ち組合の法律上の利益であるとの独断に立ち、本件訴並びに申立に及んだもので、したがつて、本件訴は原告としてその適格のない者から提起されたことになり、不適法として却下を免れず、本件申立もまた爾余の点について判断するまでもなく、この点において却下さるべきである。
二 本件「擬制適用」の措置のとりやめは行政処分でない。
本件「擬制適用」の措置は、既に詳述したとおりの事情(「本件経緯」二)で、依拠すべき法律上の根拠もないまま、便宜、恩恵的措置として事実上行なわれて来たものであり、また、後述の如く、過去一〇年余事実上行なわれたことをもつて直ちに慣習法が成立したとすることは誤りであるから、本件「擬制適用」の措置のとりやめは行政処分ではない。
したがつて、申立組合又はその個々の構成員は、右の「擬制適用」の措置を受けることによつて、何らの権利も法律上の利益をも得るいわれはなく、右の措置のとりやめ自体によつて申立組合等に侵害さるべき権利も法律上の利益もあり得ない。
故に、申立組合は、行政事件訴訟法第三六条に規定する「当該処分により損害を受けるおそれある者、その他当該処分無効の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者」には到底該当し得ないものである。
三 本件「擬制適用」の措置は、慣習法ではない。
申立組合は、本件「擬制適用」の措置は、多年何人からの反対も指弾もなく、平穏且つ公然に実施されてきたもので、行政慣習法たる性質を有するに至つたと主張する。
しかしながら、右の「擬制適用」の措置については、失業対策事業就労者の中からも高額の賃金をとる大工、左官等が「日雇健保」に寄生しているという非難がたえず行なわれていたほか、昭和四三年一一月二八日附財政制度審議会の「社会保障における費用負担についての報告」においても「日雇健保」の財政は、崩壊に瀕しているとの認識の上にたつて、そのための再建の基本的方向として「擬制適用者は制度の対象外とする」ことが最少限度の措置の一つとして要請されており、さらに国会の審議においても、昭和三三年四月二二日、参議院社会労働委員会において政府委員は、「擬制適用」は、法律上疑義のあることを答弁し、昭和四四年六月一七日、参議員内閣委員会においては、厚生大臣自ら「擬制適用」とは法律に根拠のない措置で、この意味では法律違反ともいう余地のある旨の答弁をしており、これらの事例によつても申立組合の「どこからも指弾なく行なわれてきた」という主張は事実に反する。
のみならず、行政慣習法が成立するためには、行政上の慣行が一般国民の法的確信を得るに至ることを要すると解すべきところ、この措置の始められた当初の事情及びその後の経過(「本件経緯」)及び前記の政府部内及び民間その他に於て明らかを批判のあつた事実からしても、到底本件「擬制適用」の措置が一般国民の法的確信を得ていたということはできない。
もつとも、右の「擬制適用」の措置が相当の年月継続されたところから、申立組合及びその構成員としては、現実にはこの措置が将来も暫くは継続されるであろうとの期待をしていたであろうことは考えられるけれども、前述の如く(「本件経緯」二以下)「日雇健保」が財政的には破綻にひとしい状態に陥り、医療機関に対する所定の医療費の支払遅延等の事態が発生する危険が目前にせまつており、しかもその主な原因は、前述の如く申立組合を含む、いわゆる「擬制適用」組合の納付する低額の保険料にあることに着目するとき、この際、従来の恩恵措置に終止符を打つことは、国の行政として当然の措置である。
しかも「擬制適用」の廃止により、申立組合の構成員は、「国保」制度を利用できることになるが、「国保組合」を設立して従来どおりの保険給付を得ることが充分に可能であり(国保法第一三条)、「擬制適用」廃止に伴う経過措置についても、これまでの「擬制適用」措置対象者に対しては、五月までに納付された保険料によつて「日雇健保」の保険給付の受給要件を充たしている者については、六月一日以後においても「日雇健保」の保険給付を受け得るよう配慮されており、その他、従来、常用労働者にして、事業所が健康保険法所定の事業所にあたらないため、「擬制適用」による取扱いを受けていたばあい、申請により健康保険法第一四条第一項の規定に基づく健康保険の任意包括適用の認可を行なう方針がとられており、「擬制適用」廃止に伴い、申立組合の組合員等に不利を生じないよう充分な措置をとつている。したがつて、これらの点からしても、本件「擬制適用」廃止の措置に責められる点は存しない。
また、申立組合は、本件覚書調印により宮城県知事が申立組合を健康保険法第一四条第一項の事業所として認定したものであり、したがつて、申立組合は、日雇健保法第六条第二号の認可を右覚書調印により受けたことになるから、これを今次の「擬制適用」廃止により一方的に取り消したことに帰すると主張するものの如くであるが、右の覚書の調印は、日雇健保法第六条第二所定の健康保険法第一四条第一項の規定による認可でないのみならず、右調印に始まる本件「擬制適用」の措置は、既に繰り返し述べているとおり、元来単なる暫定的な事実上の便宜措置であつて、行政処分その他の法律行為たる性質を有しないから、右の主張は、既にその前提において誤つている。
第三申立組合には、回復の困難な損害を避けるための緊急の必要性は全くない。
申立組合は、本件通告の効力を停止しなければ、申立組合所属の組合員は保険による医療給付を受ける途をとざされるから、回復の困難な損害を受けると主張される。しかしながら、右主張は次の理由により失当である。
一 申立組合には何らの損害はない。
既に述べたとおり、今回の「擬制適用」のとりやめにより「日雇健保」による保険給付を受けられなくなるのは、申立組合に所属する組合員であるから、かりに「擬制適用」廃止の結果、これら組合員になんらかの損害が生ずることがあるとしても、これをもつて申立組合の損害ということはできない。事実、本件申立においても申立組合固有の損害については何ら主張されていないところであり、また申立組合の蒙る損害以外を主張することが許されないことはいうまでもないところである。したがつて、この点において、すでに本件申立は、失当であるといわなければならない。
二 所属組合員にも回復困難な損害を避けるための緊急の必要性はない。
このことは、所属組合員が、申立人となつていない本件に於ては、必ずしも言及する要はないものと思われるが、次に念のため、見解を述べることとする。
(1) 既に、前に詳述したとおり、本件「擬制適用」のとりやめにあたつては、申立組合所属の組合員を含む「擬制適用」措置対象者に対し、事実上不利益にならぬよう経過措置を講ずるとともに、円滑にこれらの者が本来被保健者となるべき「国保」に移行し、その利益を享受し得るよう十全の配慮がなされているところである。
すなわち、「擬制適用」措置対象者は、本年五月末日かぎり当然に保険給付を受けられなくなるものではなく、同日現在、療養の給付等の保険給付を受給中の者についても、引き続き所定期間の範囲内において支給を続ける等現在療養中の者については、全く不利益はないのみならず、廃止後も対象者が本年八月末日までに疾病又は負傷したばあい、一般の「日雇健保」の被保険者と同じく、初診の日から二年間「日雇健保」による一〇割の療養の給付を受けることができ(このばあい、組合員の被扶養者については、日雇健保の五割の給付のほか「国保」の被保険者であることから、同保険より二割の給付を併せ受けることができるので、結局、これら被扶養者は、七割の療養の給付を受けることができ、現行「日雇健保」よりも有利な給付水準が確保されるのである。)右のかぎりにおいて、「擬制適用」措置対象者は、今回の措置によつて何らの不利益を受けるものでなく、損害発生の余地がないことは明らかである。
(2) また、「擬制適用」措置対象者は、今回の廃止措置の実施日である本年六月一日に市町村の実施する「国保」の被保険者としての資格を取得したのであるから、当該市町村に右資格の届出を行なうことにより、直ちに、療養の給付、療養費及び条例の定める保険給付を受けることができるのであつて、何ら保険による医療給付を受ける途はとざされておらず、したがつて、到底回復困難な損害が発生する余地はない、しかも、その被扶養者に対する給付の割合は、「日雇健保」のばあいに比し、五割から七割に改善されることは前述のとおりであり、「擬制適用」措置対象者の扶養率が高いこと及び「擬制適用」措置対象者とその被扶養者の受診率を比べると被扶養者のそれがかなり高くなつていることを考え併せると、「擬制適用」措置対象者の世帯全体では、むしろ改善されているといえる。また、療養の給付期間についてみると、「日雇健保」のばあい、初診の日から二年間とされている(同法第一四条)のに対し、「国保」のばあいはその制限がなく、この点においても改善されているのである。また、「国保」には「日雇健保」にない一部負担金及び保険料の減免の制度が設けられており(同法第四四条、第七七条)、低所得者層にはかえつて有利なばあいも少なくないのである。
(3) もつとも、「擬制適用」措置対象者本人が「日雇健保」によつて療養の給付を受けるばあいにかぎつてみれば、本人の負担分は初診時の五〇円にとどまるのに対し、本年九月一日以後に初めて受診した傷病に関して「国保」によつて療養の給付を受けるばあいは、療養に要した費用の三割を一部負担金として支払わなければならず、また、保険料として負担すべき金額が「国保」のばあい、被保険者の所得の多寡に応じて負担することとされているところから、所得の多いばあいその負担すべき保険料が「日雇健保」のばあいに比し増加することが予想され、これらの点において不利益になることがばあいによつてはあり得よう。しかし、その結果「擬制適用」措置対象者が「日雇健保」のばあいに比し、余分にその負担分の支出を余儀なくさせられたとしても、後述するとおり、本訴において勝訴すれば、容易に決済のうえ返還されることが可能であるのみならず、本来、「擬制適用」措置対象者がその適用を受くべき「国保」の四千数百万人にも及ぶ加入者が右の様な負担をしていることと対比すれば、これら負担分の増加をもつて回復困難な損害とは到底いえないところである。
しかのみならず、前に詳述したとおり「擬制適用」措置対象者は、容易に「国保組合」を設立することができる途が講じられており、このばあいには、組合の規約により保険給付については、法定給付以外の各種の給付をも行なうことができるほか、療養の給付についても本人に対する一〇割給付も行ない得るなど「日雇健保」を上廻る給付を行なうことも充分可能である。また、保険料も組合規約によつて決定することとされているので、必ずしも不利になるとは限らないのである。現に、近く設立が認可される全国建設工事業国民健康保険組合(鳶職の全国組合)においては、本人一〇割家族七割の療養の給付のほか、「日雇健保」の給付に相当する給付を網羅した保険給付を行なうこととしているのである。
三 申立組合が本訴において勝訴した場合、所属組合員が蒙つた損害の回復は、極めて容易である。
かりに本案において、申立組合の請求が容認されたばあい、「擬制適用」廃止の結果、「日雇健保」と「国保」の両制度の差異から、申立組合所属の組合員が余分の支出を余儀なくされて何らかの損害が生じるとしても、これは、本案の請求が容認された時点において、直ちに金額によつて決済することが充分に可能である。
すなわち、まず、保険給付のうち最も主要な療養の給付については、本件申立組合所属の組合員の請求があり次第、「国保」の保険者(市町村)において保存されている本件申立組合所属の組合員及びその被扶養者の診療報酬請求明細書を「日雇健保」の保険者(社会保険事務所)に送付することにより容易に決済することができるものである。また、傷病手当金についても、請求があつたばあい、右の診療報酬請求明細書を証明手段として活用することにより、日雇健保から遡及して支給することは容易である。その他の分娩又は死亡に関する保険給付についても、これらの給付の基礎となる事実(死亡あるいは分娩)の証明は何時にても容易にできる性賃のものであるから、本案の請求の容認された時点で、本人の請求により、これを遡及して支給することには何らの困難もない。
次に、保険料の点については、既に支払つた「国保」の保険料は、本案の請求が容認された時点で、「国保」の保険者(市町村)に保存されている「国保」の保険料(税)賦課に関する帳簿及び保険料(税)収納に関する帳簿の記載により、請求があり次第送付することができるものである。(なお、本案の請求が容認されたばあいに「日雇健保」の保険料を遡つて賦課することも、従来の「擬制適用」措置対象者の保険料額は一律に定められているのであるから、極めて容易である。)
したがつて、本件廃止措置の結果、申立組合所属の組合員に何らかの損害を生ずるとしても容易に金銭でもつて決済し得るものであるから、これをもつて、回復困難な損害ということはできない。
第四本件措置の効力を停止することは、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある。
本件「擬制適用」の措置は、「本件経緯」二、(1) に述べた如く、単なる便宜、暫定措置として実施されてきたのであるが、昭和三六年国民皆保険体制が達成されるとともに、その意識が薄れ、かつ、わが国の高度経済成長下におけるこれら大工、左官等の技能者の賃金の大幅の上昇に件い、依然としてこれらの者に低額の保険料しか負担させない「擬制適用」を存続させることは、他の医療保険制度の加入者は勿論のこと、本来の「日雇健保」の適用を受ける者に比し、著しく適正を欠くことになり、一方、「擬制適用」措置対象者数の異常な増大に伴い、「日雇健保」の財政は、逐次悪化の一途を辿り、累積赤字額が八九四億円にも達し、このまま放置すれば同制度は財政的に破綻し、崩壊必至の状態に立ち至つたので、「擬制適用」の措置を廃止し、もつて、失業対策事業就労者等「日雇健保」本来の被保険者のための保険制度の崩壊を防ぎ、もつてこれら日雇労働者に対する適正な医療を確保し、その生活の安定を図る目的をもつて、今回の通告を行なつたものである。
ところが、もし、万一、本件通告の効力が停止されるにおいては、単年度分の赤字が年々加速度的に累増している現状に鑑み、膨大な赤字額の累積の結果、「日雇健保」制度が財政的に破綻し、崩壊することは明らかであつて、この結果、日雇労働者に対する医療の混乱を招き、国民生活に重大な影響を及ぼすおそれのあることは、充分予想し得るところである。
また、一方、本件通告後、現在に至るまで、全国的に「擬制適用」措置対象者から被保険者手帳の返還が順調に行なわれており、これらの者は、市町村の行なう「国保」への加入手続を進め、あるいは、完了しており、また、前述の全国建設工事業国民健康保険組合のほか、同業者等による「国保組合」の設立準備が着々と進行している状況にある。かかる際に、本件通告が、本訴の判決をまたないままに、全部又は一部その効力が停止されることになれば、今回、「国保」へ移行した多数の技能者もその進退に窮し、よつて国の行政に対し大なる不信を呼ぶなど、全国的に事態は混乱し、全く収拾すべからざるに至るおそれは充分予想されるのであつて、その結果は、「日雇健保」のみならず、「国保」ひいては医療保険全般の機能をまひさせ、国民の医療に重大な影響を及ぼすこととなるものといわざるをえないのである。
意見理由補充書
昭和四五年六月一六日付意見書の理由を次のとおり補充する。
一、申立人は、昭和四五年六月二三日付意見書において「擬制適用」措置対象者の中には、本年六月末日かぎりで保険給付を受けられなくなるものもあり、緊急の必要性があるごとく主張されるが、左の理由により申立人の主張は失当である。
(一) 日雇健保法第一七条の四に裁定する「特別療養費」の制度ははじめて日雇健保制度に加入する者は当初所定の受給資格期間(法第一〇条第四項参照)を充し得ないため、同制度による療養の給付を受け得ないこととなるので、これを救済するために設けられたものである。
(二) 「特別医療費」の内容は、被保険者本人およびその被扶養者に対して、同じく「五割」の医療の給付を行なうものであり、はじめて被保険者になつた日から起算して三箇月間(月の初日に被保険者になつた者については、二箇月)、その期間に罹患した傷病について給付を行なうこととなつている。
(三) 今回の擬制適用の廃止措置の特点である昭和四五年六月一日に現に特別療養費受給票を所有する者については、日雇健保法第一七条の四に規定する所定の期間につき、特別療養費を受けられるよう経過措置を講じており、しかも、これらの者は、特別療養費を受けられる経過期間内においても、国民健康保険への加入手続をとることにより、直ちに同保険から本人はもとよりその被扶養者についても「七割の給付」を受けることができるものであつて、国民健康保険に加入することにより「改善」されることはあつても、「損害」の回復不能な事態は一切起り得ない。